毒親育ちの弊害の一つは、
毒親から流し込まれた、
怒りや憎しみ、悲しみを処理することに、
エネルギーを奪われること。
そして、処理しきれない感情を、
抱え込んでしまうこと。
私は毒親育ち。
ずっと母親に怒鳴られ、支配されてきた。
それが、大人になってから、
思わぬ形で噴出してきた。
社会人になって、私は、
赤ん坊の泣き声が大嫌いなことに気づく。
泣き声を聞くたび、
発作のように湧いてくる、
憎しみと怒り。
「首を絞めて黙らせてやろう」
とか、
「泣き声が出なくなるまで殴り続けてやりたい」
とか、思ってしまう。
してやろう、やりたい、という
「積極的な暴力性」。
そんな自分が大嫌いだった。
赤ん坊の泣き声を聞くたびに、
「息の根止めてやりたい」
という気持ちになるのだ。
そんなこと、誰にも言えなかった。
(もちろん、実際に暴力は振るっていません)
絶対子供は産めないな。と、
密かに決心していた。
産んだら毎日、
近くでぎゃあぎゃあ泣かれる。
「他人の目」という抑止力がない、
「家庭」という密室。
絶対、ko-ro/
しちゃう、という自信があった。
子供なんか産んだら、
必ず事件を起こし、新聞沙汰になる、と。
ある時、
「なんでこんなに、
赤ん坊の泣き声が嫌いなんだろう?
なんでこんなに、
憎しみや怒りが抑えられなくなるんだろう?」
と、疑問に思い、探ってみることに。
以下、私の思考過程。
赤ん坊の泣き声って?
↓
うるさい、イラつく
↓
何にイラつく?
↓
理不尽に要求してくる大声だから
(こちらの要望は一切受け付けない、
自分の要求だけする大声)
↓
大声で理不尽な要求をしてきたのは誰?
↓
母親だ!
本当の原因は、
母親からの支配による虐待だった、、、、!
不思議なことに、
ここがクリアになった瞬間、
赤ん坊へのs/a/t/s-i/は消えました。
社会人になってから自覚したことだったので、
10年近く、ずっと押さえつけるのに苦労してきた。
どす黒い気持ちを抑圧しながら、
普通の社会人を演じるために、
たくさんのエネルギーを浪費してきました。
自分のために使うエネルギーなんて、
残っていなかった。
だからずっと鬱だったんだな。
おつかれ、私。
がんばったね。
エネルギーを奪われていることに気づいたら、
そこから離れようね。
そして、自分のエネルギーは、
自分のために使おう。
春の空、気持ちのいい天気。