快楽至上主義者の日常〜〜薫子's blog

自然体でのんびり、カラダとココロのゆとり生活。

快楽至上主義者の作り方

好きなものに浸る、日常の幸せ。

今日はスタバに行って、
季節限定のクリスマスブレンドの豆を購入。
ローストの仕方で三種類あるのを、全種類、大人買い
三種類、どれから飲もうかなあ、、、


こういう、好きなものに浸っている時が一番幸せです。

 

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 快楽を追求できなかった日々

楽しんではいけなかった子供時代

私の母は、「楽しい=怠けている」と考える人でした。

私は、「本当にやりたいこと」や、
「本当に欲しいもの(私の楽しいこと)」を
うっかり正直に言うと、

「それはダメ」

と言って全否定して取り上げられ、


代わりに、
親がやらせたい「勉強」を押し付けられたので、

(今でいう教育虐待ですね)

いつからか、本当に欲しいものや、やりたいことを
言えなくなっていきました。

友達とご飯を食べに行っても、
「何が食べたい?」と聞かれると、
「え、どうしよう、あの、、、、ごにょごにょ」
と、はっきりとは答えられないほど重症だったのです。

 

本音を晒すのは危険。家庭に居場所はなかった

 「本音を晒す」というのは、

私にとって非常に危険なことでしたし、

もちろん、家庭というのは、
私にとっては危険な場所でした。

 

 だから、中学受験で寮のある学校に受かった時は、
内心ほくそ笑んだものです。
喜んで家から出て行きました。

 

自分はどこかおかしいな、と思い始めたのは
社会人になってから。
ストレス耐性が異常に低く、いつもイライラして、
目の前にいる人が全部敵に見えるほどでした。

(職場のストレス度が高かったのも事実ですが)

 

そして、しょっちゅう、
「こんな敵意の塊の私は頭がおかしいんだ」
と思っていました。

 

普通になりたい

 自分と向き合う日々

結局、八年勤めた仕事を辞め、
のんびり暮らせるように仕事を減らし、

心理学のセミナーを渡り歩き、

少しずつ、

自分の敵意やイライラの原因を探り出し、
自分と向き合ってきました。

 

「普通になりたい」

当時の私が切に願っていたこと。

それは、
「普通の人になりたい」

でした。

 

いつもだいたい機嫌が良く、
嫌なことや失敗があっても、
正直に謝れて、抱え込まない。
周りの人は敵ではなく、味方。

だから自然に優しくできる。

そういう、「普通の人」になりたかったのです。

 

10数年経って、やっと手に入れた心の平和 

それからもう10数年が経ちました。

今の私が普通かと言われると、それはわかりません。

が、昔よりは全然ましです。

 

イライラするのは嫌なことがあった時だけ。

機嫌が悪い日もあるけど、

周りが全部敵ではないし、
誰かのやることがいちいち気に障って、
怒りを抑えるのに大変なエネルギーを使う、

ということがなくなりました。

 

仕事に行くのが憂鬱な日もありますが、
それでも、「あーあ、やれやれ」程度。
朝起きた瞬間からずっと不愉快で不愉快で、
最高にイライラして、そのまま一日が終わる。
人に当たり散らさないよう、我慢に我慢を重ねる毎日。

そんなことはもうなくなりました。

 

私ももうすぐ50歳。

昔は親のせいで楽しみを制限されてきたけど、

これからは好きなことをやっていこうと思います。

大人になってよかったことの一つは、
「自分名義のお金で、好きなことをやっていい」
ところです。
ただ、「好きなことをやって生きてもいい」
と、自分に許可を出せない時期が長く続きました。
「楽しいこと、やりたいこと」を知られると、
取り上げられて、罰(勉強)を与えられていたから。

そんな生活を長くしていたので、
なんかこう、幸せとか、快楽が身についていない。
うっかり楽しそうにすると、必ず邪魔される。
そう、私にとって「楽しむ」は「危険」を意味していました。

これからは、「快楽上等」の日々を。

私が一番好きなことは、
「自分の快楽を追求すること」。

うっとりする香水の香りに浸り、
好きな食べ物、美味しい物にニンマリし、

欲しいものを(たくさん)買ってコレクションする。

そんな、快楽上等!の日々を書いていこうと思います。

 

**諸事情にてアメブロから引っ越しました。

今後ともよろしくお願いします。
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